岡田斗司夫氏の著書「オタクはすでに死んでいる」を発売と同時に購入したのは一ヶ月以上前になりますが、それを読んでの感想と自分の思うところを少しばかり書いてみます。
最近のTV等の報道では、オタク=秋葉原に集まる人たちで、路上でコスプレの写真を撮ったりメイド喫茶に行って「萌え~」と言っている人たちのことを指すようです。でも、自分もオタクだと思ってきたけど、何だか違和感を感じていました。何かが決定的に違うんだけど、それは一体なんだろうかと。
自分にとってのオタクというのは、大人になってもアニメやゲームや漫画が好きで、ちょっと世間には大きい声で言えないような趣味を持っているけど、非オタクの人に対して、自分の好きな作品の何が優れているかを説明できて、可能であればその素晴らしさを広めていこうという意識がある人。また、様々な情報を収集して、更に造詣を深めていく楽しさを知っている人のことをオタクというんだと思っています。
今でも自分の家から一歩でも出ると、少し後ろめたさを持ちながら生活しているような状態で、職場などの会話の中で自分の好きなアニメや漫画の話題が出てくると(と言っても滅多にないことですが)、その詳細について語りだすようなことをしています。
それが、TV等で報道されているオタクと言うのは報道の情報操作も多量に入っているとはいえ、そこに映る人たちからは、あまり後ろめたさを感じないのです。俺はオタクだ何が悪い?と開き直っているような印象でしょうか。そんなにオープンにしても得することはあまり無いような気がするのですが・・・。
ここで話は「オタクはすでに死んでいる」に戻りますが、この本は、オタクの世代間を越えた結びつき、一貫性のようなものが崩壊してしまったことにより、オタクの定義ができなくなってしまった。それならば、もう自分のことをオタクとは呼ばず、ただの個人として楽しむしかないじゃないか。というような感じでした。
それでは、私も自分のことをオタクと呼ぶのは止めようか?と考えると、まだまだ一般人に自分の趣味を説明するにはオタクという言葉は便利なので、もう少し使いたいなというのが正直なところです。ただ、「萌え~」と言っている人たちと同じように見られるのは少し抵抗がありますので、同一視されてしまうのが怖いところではあります。
それでは自分のアイデンティティをオタク以外のどんな言葉に求めるのかというと、「少年の心を失わない大人」これはちょっと格好良すぎだし、大体今のアニメや漫画には大人向けのものも多いので使いづらいかな・・・。次に「精神年齢は中学生」これだとエロ真っ盛りみたいな感じにもとれるのでちょっと・・・。
色々と考えてみたんですけど、やっぱりオタクという言葉は便利なので、この言葉を使い続けることになりそうです。「ただ、オタクといっても色々あって、自分の場合は・・・」のように、聞いている人が嫌になるような前説明が必要になってしまうかな。それは短縮して聞いている人を飽きさせない努力は必要かも。
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